グリーンインフラの災害リスク軽減機能:定量的評価手法とその政策決定への活用
はじめに
近年、気候変動の影響により、集中豪雨による洪水や土砂災害、猛暑に伴う熱中症リスクなど、様々な自然災害のリスクが増大しています。こうした背景から、従来のハード対策に加え、自然の機能を活用したグリーンインフラによる防災・減災への期待が高まっています。グリーンインフラは、多様な生態系サービスを提供すると同時に、物理的な構造物では対応しきれない複雑な自然現象に対しても、柔軟かつ多機能なリスク軽減機能を発揮する可能性を秘めています。
しかし、グリーンインフラの導入を促進し、限られた予算やリソースを効果的に配分するためには、その災害リスク軽減効果を客観的かつ定量的に評価することが重要です。定量的評価は、政策決定の根拠、住民や関係者への説明、そして投資対効果の検証において不可欠な要素となります。本稿では、グリーンインフラの災害リスク軽減機能を定量的に評価するための主要な手法と、それらが自治体における計画策定や政策決定にどのように活用できるかについて概説します。
グリーンインフラがもたらす災害リスク軽減機能
グリーンインフラは、その種類や配置によって、様々な災害リスク軽減機能を発揮します。主なものを以下に挙げます。
- 洪水・内水氾濫の抑制: 森林による保水機能向上、農地や緑地による雨水貯留・浸透、屋上緑化や透水性舗装による都市部の雨水流出抑制など。
- 土砂災害の抑制: 森林の根系による地盤強化、植生による表土流出防止、渓畔林による渓流の安定化など。
- 高潮・津波の緩衝: 沿岸部のマングローブ林、砂浜、海浜植物、藻場などが波のエネルギーを吸収・減衰。
- 熱中症リスクの低減: 都市部の公園、街路樹、緑地、水辺空間などによる日陰提供、蒸散作用による冷却効果(ヒートアイランド現象緩和)など。
- 強風・飛砂の抑制: 防風林、緑化構造物などが風の勢いを弱めたり、飛砂を抑制したりする効果。
これらの機能は、個別のインフラ要素だけでなく、それらがネットワークとして連結されることで、より広範囲かつ複合的な効果を発揮することが期待されます。
定量的評価の意義と必要性
グリーンインフラによる災害リスク軽減効果を定量的に評価することには、以下のような意義があります。
- 投資対効果の明確化: 整備にかかるコストに対し、将来的な災害被害額の削減、復旧費用抑制といった形で得られる便益を数値で示すことで、投資の妥当性を説明できます。
- 政策決定の根拠: どの場所に、どのような種類のグリーンインフラを、どの程度の規模で整備することが最も効果的であるか、データに基づいた意思決定を支援します。
- 異なる対策間の比較: ハード対策や非構造物対策など、他の防災・減災策との効果やコストを比較検討するための基礎情報を提供します。
- 住民・関係者への説明責任: 整備の必要性や効果を具体的な数値や図で示すことで、地域住民や議会、関係機関への理解と協力を得やすくなります。
- 優先順位付け: 限られたリソースの中で、リスクの高いエリアや効果の大きい対策から優先的に実施するための根拠となります。
主要な定量的評価手法
グリーンインフラの災害リスク軽減効果を定量的に評価するために用いられる主要な手法には、以下のようなものがあります。
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物理モデルを用いたシミュレーション:
- 洪水・内水氾濫モデル(例: SWMM, HEC-RASなど):特定の降雨シナリオに対し、グリーンインフラの有無や配置による河川水位や浸水範囲の変化をシミュレーションします。貯留・浸透機能を考慮したモデルを用いることで、整備効果を定量的に評価できます。
- 土砂流出・斜面安定モデル:植生や森林が土砂流出量や斜面崩壊リスクに与える影響をモデル化し、定量的な効果を予測します。
- 大気拡散・熱環境モデル:公園や街路樹などが気温や汚染物質の濃度に与える影響をモデル化し、熱中症リスクや大気汚染関連の健康リスク低減効果を評価します。
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地理情報システム(GIS)を用いたリスク分析:
- GIS上に、災害ハザードマップ、地形データ、土地利用データ、人口データ、資産データなどを重ね合わせることで、災害リスクの高いエリアを特定します。
- 既存または計画中のグリーンインフラの位置情報をGIS上で分析し、対象エリアのリスク軽減にどの程度貢献するかを、空間的な観点から評価・可視化します。
- リスク軽減効果を、影響を受ける人口や資産の削減として推計することも可能です。
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被害額推計モデル:
- 過去の災害データや被害関数(浸水深と建物の被害率の関係など)を用いて、特定の災害シナリオにおける想定被害額を算出します。
- グリーンインフラによるリスク軽減効果(例: 浸水深の低下、避難者数の減少など)をモデルに組み込むことで、被害額がどの程度削減されるかを定量的に推計します。これはコスト便益分析の重要な要素となります。
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生態系サービス評価のフレームワーク:
- 共通的な分類(例: CICES - Common International Classification of Ecosystem Services)や評価手法(例: TEEB - The Economics of Ecosystems and Biodiversity)の枠組みを用いて、グリーンインフラが提供する多様な生態系サービスの中に含まれる「災害緩和サービス」を抽出し、可能な範囲で経済的価値や物理的指標で評価します。
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リモートセンシングデータの活用:
- 衛星データや航空写真、LiDARデータなどを用いて、整備前後の植生被覆率、地表面温度、水域面積などの変化を広域かつ定期的に観測します。
- これらのデータを物理モデルやGIS分析と組み合わせることで、グリーンインフラによる環境変化や機能発揮状況を把握し、効果評価の裏付けとすることができます。
自治体における活用可能性
これらの定量的評価手法は、自治体の様々な段階で活用できます。
- 計画段階: 災害リスクマップや将来予測に基づいて、グリーンインフラの最適な配置や種類を選定する際の科学的な根拠とします。例えば、洪水モデルの結果から、特定の緑地整備によるピーク流量削減効果を予測し、計画に反映させます。
- 予算要求・事業採択: 事業の投資対効果を定量的に示し、予算確保や関係部署・議会からの承認を得るための説得材料とします。
- 住民説明会・合意形成: 分かりやすいシミュレーション結果や被害軽減額の推計値を示すことで、事業の必要性や効果を具体的に説明し、住民理解を促進します。
- 効果モニタリング・評価: 整備後の効果を定量的にモニタリングし、計画通りの効果が得られているか、改善の余地はないかを検証します。リモートセンシングデータや市民参加による観測データなどが有効です。
- 他分野との連携: 防災部局、都市計画部局、環境部局、農林水産部局など、関係部署間でリスクや効果に関する共通認識を持つためのデータとして活用します。
例えば、ある自治体では、浸水履歴のある低地の公園を多機能化し、雨水貯留機能を持たせる計画を立案する際に、洪水シミュレーションを用いて、整備後の浸水面積や浸水深の減少効果を定量的に評価しました。この結果は、事業の費用対効果分析に用いられ、予算編成の際の重要な根拠となりました。また、住民説明会では、シミュレーション結果を分かりやすい図で示し、整備による地域の安全性向上が期待できることを具体的に伝えることに成功した事例も存在します。
課題と今後の展望
グリーンインフラの災害リスク軽減効果の定量的評価には、いくつかの課題も存在します。詳細な地形・土地利用データ、気象データ、被害データなどの整備が十分でない場合があること、評価モデルやツールの利用に専門知識が必要な場合があること、そして複数の機能が複合的に作用する場合の評価の複雑さなどが挙げられます。
しかし、データ収集技術(LiDAR, ドローンなど)や解析技術(AI, ビッグデータ分析など)の進歩、オープンデータの拡充、そして評価ツールの開発・普及により、これらの課題は徐々に克服されつつあります。また、生態系サービス評価や自然資本会計といった新たな概念の導入も、グリーンインフラの持つ多様な価値を定量的に捉える上で重要な視点を提供します。
今後は、より標準化された評価手法の開発と普及、自治体職員向けの評価ツールやデータ活用に関する研修の実施、そして異なる評価手法から得られる結果を統合的に解釈するためのフレームワーク構築などが求められます。グリーンインフラの災害リスク軽減機能を定量的に評価し、その成果を積極的に政策決定や住民説明に活用していくことが、持続可能でレジリエントな地域社会の実現に向けて不可欠となります。
まとめ
グリーンインフラは、増大する自然災害リスクに対する有効な対策の一つとして、その重要性が認識されています。その多様な災害リスク軽減機能を客観的に評価し、投資対効果や優先順位を明確にするためには、定量的評価が不可欠です。物理モデル、GIS、被害額推計、生態系サービス評価、リモートセンシングといった多様な手法を組み合わせることで、グリーンインフラによるリスク軽減効果を多角的に捉えることが可能です。
これらの評価結果を、計画策定、予算要求、住民説明、効果モニタリングなど、自治体における様々なプロセスで積極的に活用することで、よりデータに基づいた合理的かつ効果的なグリーンインフラ整備を推進できます。課題は存在するものの、技術の進歩により定量的評価の可能性は広がっており、自治体における取り組みの深化が期待されます。